20111121_262764この夏バリへ行ったとき、師匠の家で少年二人がグンデルをならっていた。

おとなしく練習はしているものの、なかなか覚えられないらしい。

グンデル・ワヤンは両手で違うことを演奏する。

旋律も複雑だし、バリでは難しい楽器だといわれている。

ゴング・クビャールをがんがんに弾きこなす音楽大学の学生でもグンデルは弾けない、という人も多い。

クビャールは大体どこの村でも共有財産として楽器をもっているし、クラブがあり、演奏できる大人がいるから習いやすい。しかしグンデルを持っているのは影絵芝居関係者等、クビャールより限られているから、近所や家族に演奏者がいないと、習う機会も少ないのも理由の一つだろう。

しかし特に都市部ではここ10年くらいのあいだに個人でグンデルを買ったり、お稽古事としてグンデルを習う人が少しずつ増えてきた。

中には、演奏も出来ないのに高価で豪華な楽器をばーんと買っちゃう人もいる。

医師、実業家、役人など経済的に余裕のある高収入の人たちが、「次のステータス」として、この楽器を買うんだそうだ。もってるだけでうっとり、というわけ。

「働いてお金をもうけて世俗の成功を手に入れたら、今度は信仰と宗教の段階に進む」。グンデルは儀礼と密に関わっている神聖な楽器。4台でフルセットだからお手頃でもあるし。

子供の頃から踊りやガムランにうつつをぬかしていたら、こういうエライ人たちにはなれない。ビジネスで成功した勝ち組の皆さんの多くはグンデルはおろか、ガムランの演奏はぜんぜん出来ないんじゃないか。そして、いくら賢くても、大人になってからいきなり始めてすぐにすいすい演奏できるほど、グンデルは易しくない。

そこで息子や娘に夢を託すというわけだ。

昔の日本におけるピアノみたいな感じ。

そのうちグンデルが良家の子女の嗜みになったり、セレブのしるしになったりして、グンデルがうまいともてるようになったりしたらちょっと面白いなあ。

うーん、でもやっぱりそんな日は来ないかな。仮に来ても、その頃は自分が婆さんになっているだろうし。

 

2008年9月 増野亜子

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写真のイ・ワヤン・コノラン師は2008年9月27日に逝去されました。

数々の生徒に数々の曲を伝えたコノランさんのご冥福をお祈りします。

(増野亜子による追悼文はコチラを御覧ください)