最後の1枚にぜひ:ガンバンとキドゥン

 どのジャンルにも、というか、これは音楽の本質のようなものだが死者を悼むものがある。ミサにしても聲明にしても、またコーラン、というかクルアーンにも欠かせない。死後の世界に旅立つ者に対して、せめてもの環境作りなのかもしれないが、儀礼とは生き残った者への慰謝なのだと勝手ながら思う。
 そんななかでバリには使者を送る儀礼音楽が多い。というか、ガムランはもちろんキドゥンのような声楽も含めて、実に多彩だ。
 思えば宗家たるインドは実に簡単なもの。燃やしてガンガに流せばそれでOK。敬虔で余裕のある人はがヴァナラシの【解脱の館】でひたすら死を待つだけ。日がな一日、ガートで流される灰やレアの物体を眺めていたら、こっちも無常感が生まれてくる。困るのは昼間はおとなしい犬が、夜はノンヴェジ、つまり肉食になること。あいつらほとんど狂犬病だから洒落にならない。
 そんなわけで数ある葬礼供儀から、ガンバンである。あの音の録音メータみたいな不規則な木製の鍵盤をガムランで、もっぱら死の儀礼(pitra yadnya)中心に演奏される。だからで演奏家もほとんどあっちに片足を突っ込んだ人、というか年配の人ばかり。たしかにあっちの世界に近い、と思う。
 スンブウックの音を録ったのは、陽光降り注ぐ昼下がり。心地よい林に囲まれたギャニアールはスンブウック村の森の中。
 ここで不思議なことが。あのイレギュラーな音階の4台のガンバンの打ち出す複雑なリズム。加えて柔らかな風と空気。ガンバンにガンサのパルスが脳髄に奇妙な効果を与えたのか、全員落ちてしまった。つまり寝てしまったのである。もちろんエンジニアとサブは大丈夫。でないと盤が出来ませんから。もともと通夜の席で浮遊霊が、死者に悪さをするのを防ぐ音楽らしい。ガンバン自体、浮遊霊(gamang)由来のこととのこと。
 世界中の音楽とは言わないが、数多くの音楽を知っているつもりの私だが、このガンバンの不思議さは他に例をみない。リズムはさておき、音の跳躍というかメロディ構成がまず読めない。ずっと聴いていればパターンを読み取ることも可能だとは思うが、その必然が理解しづらい。例えば、現代音楽のベリオなら出発点も判るし、先ずは個人的な音楽世界だと理解も出来るが、ガンバンはあくまで古典、伝統音楽である。それもバリの宗教世界と密接な関係となれば、その背景を知りたくもなるでしょう。
 年々暑くなる日本。状況が許せば、窓や扉を開け放って、遠くのオーディでこの音を聴いてほしい。随所に填め込まれたキドゥンは、歌手としても知られたニ・ニョマン・チャンドリ率いるスカル・マドゥ・スアラ。芸術性と技術はバリの最高峰。この1枚があれば、気持ちよくあの世へ行けます。

星川京児(ほしかわ・きょうじ)
音楽プロデューサー。民族音楽を中心に様々なジャンルの音楽制作に携わる。代表的なものとしてはキングレコード『ワールド・ルーツ・ミュージック』『日本の伝統音楽』『ユーロ・トラッド』など。ビクター『禅レーベル』ポニーキャニオン『国立劇場30周年記念』他多数。著書は、『知ってるようで知らない民族音楽おもしろ雑学事典』(ヤマハ ミュージックメディア)、『粋酒酔音−世界の音楽と酒 の旅』(音楽の友社)など。
映画『敦煌』『ラストエンペラー』では、中国音楽のディレクターを担当。
NHKをはじめテレビ、ラジオ番組の司会や パーソナリティとしても出演多数。

Hoshikawa

KING RECORDS
ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリー
バリ/スンブウックのガンバンとシンガパドゥのキドゥン
KICW-85172

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